古代の日本には個人崇拝の宗教は存在していなかったのではないかと、ひねくれ爺ちゃんは推測する。人間の力ではとても太刀打ち出来ない自然が神様、自然崇拝神。それと男性優位の社会ではない。子孫を産んでくれる女性崇める社会なので、お腹の大きい妊婦が土偶として残されている。邪馬台国の卑弥呼は女王だし、神様にも女性の天照大神が崇められていた。そんな日本に男性優位、女性蔑視の風潮を起こした要因に仏教の存在が大きいのではないかと思われる。仏典の中の女性差別である。経典の中で語られている差別には、「女人五障(にょにんごしょう)」女性は修行をしても仏になれない。「三従(さんしょう)」女性は親、夫、子に従うべきだとする。「変成男子(へんじょうなんし)」女性は男性に生まれ変わって成仏出来る。この三つの教えは、まさに女性蔑視の最たるものである。経典は仏教の開祖・釈迦が説いた教えを、弟子達が「私はこう聞きました」と解説した物らしいが、
本当に釈迦が説いたかは、後世に成立した物も多いので定かではないらしいが女性差別であることは間違いが無い。山に隠って修行をする修行僧にとって、女性は男の本性を擽る厄介者、修行の邪魔になるので、数多くの山を女人禁制にしたのではないかと推測してみるが、当たらずとも遠からずだと確信している。寺には尼寺も存在するので、仏教での男尊女卑はどの程度なのか、理解出来ないが、キリスト教の聖母マリアとは大違いであることは間違いが無いようです。仏典の中の男女差別は教団でも頭の痛い事のようで、真宗大谷派、宗玄寺酒井住職は葬儀の時にお経に記された「変成男子」を唱えないと決めているそうです。真宗大谷派では2008年、住職の妻の呼び名だった「坊守(ぼうもり)」を、住職の夫にも適用。男性中心だった寺院運営に男女共同参画の流れを広げているそうです。男女差別の言葉として「三界に家無し」と言う言葉は、ひねくれ爺ちゃんも耳にしていたが、この言葉の語源が仏教の経典から伝えられた物とは知らなかった。寺には正月の初詣とお通夜葬式以外に様がないので、新聞記事の「仏典の女性差別どうする」を読んで改めて知ることが出来た。ひねくれ爺ちゃんは小学校の義務教育から、男女共同授業を受けているので男女差別を肌で感じてはいないが、差別を受けていると感じている女性も多いと思われる。釈迦が説法で男女差別を説いていたかは定かではないが、釈迦の弟子の中に実の母親がいるという話は聞いたことがある。それが真実であるとすると、釈迦の実母は息子に教えを請うとのだろうか、それとも釈迦がマザコンなので、仕方が無く、弟子になってあげたのだろうか、釈迦親子の真実を知ってみたい。
本当に釈迦が説いたかは、後世に成立した物も多いので定かではないらしいが女性差別であることは間違いが無い。山に隠って修行をする修行僧にとって、女性は男の本性を擽る厄介者、修行の邪魔になるので、数多くの山を女人禁制にしたのではないかと推測してみるが、当たらずとも遠からずだと確信している。寺には尼寺も存在するので、仏教での男尊女卑はどの程度なのか、理解出来ないが、キリスト教の聖母マリアとは大違いであることは間違いが無いようです。仏典の中の男女差別は教団でも頭の痛い事のようで、真宗大谷派、宗玄寺酒井住職は葬儀の時にお経に記された「変成男子」を唱えないと決めているそうです。真宗大谷派では2008年、住職の妻の呼び名だった「坊守(ぼうもり)」を、住職の夫にも適用。男性中心だった寺院運営に男女共同参画の流れを広げているそうです。男女差別の言葉として「三界に家無し」と言う言葉は、ひねくれ爺ちゃんも耳にしていたが、この言葉の語源が仏教の経典から伝えられた物とは知らなかった。寺には正月の初詣とお通夜葬式以外に様がないので、新聞記事の「仏典の女性差別どうする」を読んで改めて知ることが出来た。ひねくれ爺ちゃんは小学校の義務教育から、男女共同授業を受けているので男女差別を肌で感じてはいないが、差別を受けていると感じている女性も多いと思われる。釈迦が説法で男女差別を説いていたかは定かではないが、釈迦の弟子の中に実の母親がいるという話は聞いたことがある。それが真実であるとすると、釈迦の実母は息子に教えを請うとのだろうか、それとも釈迦がマザコンなので、仕方が無く、弟子になってあげたのだろうか、釈迦親子の真実を知ってみたい。
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by kyoumoinkyobiyori
| 2019-07-10 16:31
| エッセー